【乱雑文】三島・Harari等考察「物語との心中について」

三島由紀夫の人生をざっと調べたのでそいつを頭の中で反復して再生していた。

そこで気づいたのは、三島の楯の会の共有していた強固な物語のこと。三島はもしかしてその死の前「王国なんてなかったんだよ」に涙したり、「このまま穏やかに歳を重ねて累々ライフワークを仕上げていく人生が一番正しいのだろうが、私はまだロマンを見ている。小説家にとって政治的意思に傾くほど危険なことはない」と宣ってみたり。

もしかして彼は自らの、物語性の保守のために死んでいったのではないだろうか。
加齢による美の喪失、自らの”恋する”「国家」の変容。
そういったものに対して、周りを巻き込み強化した「物語」と心中する。
つまり「物語」を破壊する外界から永遠に逃げおおせる
彼の本当の意図はそういったところにあるのではないだろうか?

 

俺はどんどん年表で1925 1月年の三島誕生、1945年での20歳での終戦(1925 1月はドゥルーズの誕生した年でもある)、1964年の東京五輪、そして1970年の三島事件と、大きな事件をマイルストーンに記憶を追っていた。一人の厚みのある人間のバイオグラフィーを元に、歴史年表を自分の中に読み込むというのは非常に有用なやり方なのかもしれない。愛着乃至興味を持てる人を起点に立体化することができる気がする

 

3

僕は丸ノ内線始発池袋から、霞が関日比谷線乗換、そして神谷町から麻布十番の職場までの徒歩の最中ずっとそれを考えていた。そして、移動の9割が終わったあたりで、「物語との心中」を考えた時に、先日読んだ流行書「サピエンス全史」のことを思い出した。

楯の会」の集合写真の五十嵐九十九デザインの制服に身を包んだメンバー達の凛々しさは、同じ集合写真を模倣した「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」が何かコントにしか見えなくなるほど美しい。思わず見惚れてしまった。僕には一切の政治色がないけれど、素直にそう思えるのだ。

 

4.

そこで、サピエンス全史で攻撃的な言葉選びで述べられているところの「妄想」⇨「物語」のことを思い出す。「全ての政治構造、宗教、信条は全て妄想である」というサピエンス全史の主軸。この「妄想」が大きな力を持つための

①それが強固な体系を持っていること
②多くの人に再帰的に共有される構造を持ちうること、という条件

 いうまでなく、三島の思想は、②を全くもって満たしていなかったが、①に関して言えば、彼らは非常に強固な物語を持っていた。しかし、変容していく国や国民意識の中で、彼らの思想は明らかに河の流れを逆行して沈み込むものに過ぎず、つまり彼が自ら作ってリハーサルからそのセリフを聞く号泣してとまらなかった

 

「船の帆は、でも破けちやつた。帆柱はもう折れちやつたんだ」
「僕は一つだけ嘘をついていたんだよ。王国なんてなかったんだよ」
なのである。

 

5.

”嘘”はややもすると、楯の会の森田必勝の屈託のない性格を、その美徳ゆえに死に引きずり込むとき、彼は「本当は王国はなかった」ということをわかっていて25歳の彼を殉せしめるのであるから、それについて深い深い罪責をを表してるのかもしれない。そしてそれはつまりサピエンス全史でいう

③この妄想は、メタ認知的であってはならない。少なくとも共有されるおおよその集団にとって。それは”疑うことさえ不敬な、そこに絶対に”存在”しているものでなければいけない 。

というところにつながっている。それはカルト宗教の教祖に似て、自らのみがそれを虚ろな妄想だとわかっているところの信奉者達はそれに殉教し得るほどの情熱を持っている時の深い孤独に似ているだろう。

 

6.

三島由紀夫のことをどこまで覚えたか頭の中で反復してみるという徒然なる試みからここまで話が広がることになるのは、サピエンス全史の空想の話、その前提にある東浩紀とのゲンロンカフェでの直接会話がベースにある。各々の知識は既存のものの記憶能力によって甚だしく劣化されたものだとしてもそれを思惟する時に、座標的に全く違う箇所にある別の知識と結びつき、全く新しい観点を生み得るのは、(AIの懸念が達成されるのだとしたら、それまでは)我々が人間たる最大の特権の一つである。

そうして大事なのは、こういった知の結合が行われる時、新しい”気付き”の感覚に対峙し、驚き感動しているその瞬間の僕は、本当に「ここにいる僕」という強固なものに感じられるということだ