【フルヤレビュー】[映画]「沖縄スパイ戦史」

◆サマリ

沖縄スパイ戦史

監督:三上智恵大矢英代

 

沖縄戦時。

陸軍中野学校による極秘プロジェクト

私服少年兵動員による内部諜報や

本土総力戦の予行ともいえる戦闘への参加を追う映画

 

◆フルヤレビュー

 

腐敗して蛆の沸いた死体より、袈裟切られ刮目した兵士より

古谷が一番グロテスクだったのは、生存者の戦後の話



まだ17歳で戦争から帰った彼が

その後、自室で大暴れして、

畳の上で匍匐前進して敵から逃げ

毎日それを続け、

部屋の端の凹部に、

即席の座敷牢を作られ幽閉された

という話。



「昼も夜も戦争ですよ。」といった

昼も夜も戦争なのだ。



私は政治的リテラシーが全くないから

明らかに政治的意思が内包された映画に関しては

ある種の防壁を張ってから見るようにする

悲惨な映像が含まれるものであればなおさらだ。



だから映画の中で提供されるある種の情報に関しては

政治的情報偏頗を感じで不感症になるようにしている

或いは純然とフィクションとして認識している

(突き詰めていけば、誰かが発信するものはいくら事実ベースでもすべてフィクションである)



しかしこの、畳の上で匍匐前進する元少年兵の話だけは

それが映像記録されていないのにかかわらず最も鮮烈な印象を僕に与えた



加えて、70余年の時を経ていまだに

彼らが魂の何割かはその時代の彼らが少年兵という捨鉢的戦略に駆り出された

ごく短い時間に住んでいるということだ。



90近い老人たちが語りかける、慰霊の木に向かって少年のように、

永遠に少年であり続ける分岐を辿った彼らの戦友

サバイバーズギルドの、終わらない閉塞を見ることができる。



煽情的怒りを喚起させる表現はたくさんあり

僕はそれにニュートラルでいたいものの、語弊はあるけれど

「ある種のフィクションとして」考えさせられるものは、たくさんあった。



そして、僕の中で気づきになったのは

生身のグロテスクな映像と当時の生の声が交差する中に於いて

むしろ映像そのものより彼らの語る抒情的回想のほうが、

一晩経過した僕の中に鮮烈な映像を形成しているというその事実だ。



不謹慎な言い方を勘弁してほしいが

2018年において、

ある程度記銘的記憶を以て戦争経験を語れる(つまり赤ん坊ではなかった)人は

絶滅危惧種になる時期になってきてる

戦争の話を聞きにいくなら今しかない。

ということにも気づかされる映画だった。